あの日からもう二か月も経つのに、「神戸」のナンバープレートを掲げたパトカーが、蓍町橋の上の国道を巡回していた。
この橋の上から南東の方角を見やると、金属の柱やらコンクリートやら、なにがどういう風に入り組んでいるのかわからないほどぐちゃぐちゃな状態が剥き出しとなった、イオンモール熊本の姿が見える。ほんの少し前なら、駐車することすら難儀し、廊下を歩くと真っ直ぐには進めない、買い物すれば後日「山田さんイオンに居ましたよね」と同僚から指摘されるほど、熊本中の人びとが集まってごった返したこのショッピングモールは、7月28日の熊本地震の際、なんらかの原因によって大爆発を起こした。それからここには誰もいなくなった。
地震が起こってから数日間、嘉島の周辺で多くの県外パトカーを目にすることがあった。応援に来ていたのだろう。だが9月末の現在にあってもなお彼らの姿を見るとなると、地震の爪痕はやはり深いというか、まだなにも終わっていないのだと感じる。
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9月の連休中、御船町の池田活版印刷所にお邪魔して、活字拾いのお手伝いをした。
池田活版印刷所は御船の地で130年以上に渡り、活版印刷を生業とされておられる。ご縁があって、池田活版の吉田さんに、僕のプライベート用の名刺を作ってもらったのが昨年の夏であった。この名刺は時たま知り合いに配っているので、見たことのある方も多いかもしれない。活字と活版印刷機が作り出す、この世に二枚と同じものが現れないインクの掠れ、でこぼこ、手工業感。インクジェットには到底出せない風合い。そういうものに魅せられた僕は、活版印刷の技術と文化が少しでも後世に遺ってほしいと感じていた。
今般の地震後、活字棚から飛び出してめちゃくちゃに散乱した活字たちの様子を、吉田さんがインスタグラムにアップしているのを見て、活字整理の手伝いに行くことを決めた。
ただ、僕の実家も地震の震源から近く、片付けが必要だったこともあって、池田活版に駆けつけることがすぐにはできなかった。ようやくお邪魔した9月の連休までには、すでに他のボランテイアの方々によってある程度大きなサイズ(ポイント)の活字の整理は終わっていた。

しかしそれですべてが終わったわけではない。吉田さんが「ゴールは見えているけど、まだまだ」と仰るように、ここからはポイントの極端に小さな活字の整理を行っていかねばならない。僕は6ポイントの全角・二分(つまり半角)・四分について、活字ケースの中に仕分けしていく作業を任された。

6pはとにかく小さい。ひと目見ただけでは、いや、じっくり見ても、この活字が何の文字なのかまったくわからない。だから、活字の先っちょにスタンプのインクを付けて、いったん紙に押し当ててみることで文字を判別する。それでも虫眼鏡が必要なほど細かい作業だ。


朝の10時すぎから夕方16時ごろまで、ほぼぶっ続けで作業した。熱中すると止まらなくなり、体を壊すのは僕の悪い癖である。とはいえ、任されていた6pの仕分けは粗方終えることができた。
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作業の翌日、吉田さんから「山田さんが作業した6pの活字ケースは、ずうっと当店の宝物として残ります」とのご連絡をいただいた。
いえいえ。とんでもありません。
活版印刷の技術と文化こそが、われわれの宝物だと思いますよ。

